酒粕の歴史

■酒粕と酒の歴史・文化   

 

 

風雑り 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩を

取りつづしろい 糟湯酒 うち啜ろいて 咳かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ

 

(雨風の夜。また雪の降る夜。寒くて、やることもなく。塩をなめながら、湯で溶いた粕湯酒をすすり、咳をし、鼻もすする。)(万葉集 貧窮問答歌 山上憶良)

 

 この唄は、下級役人の侘びしさと共に、酒粕をお湯で溶いて飲んだという当時の民衆の生活も伺えるなんとも生活感に溢れた唄です。前半の雨雪の寒さ冷たさと、その後の糟湯酒との対比が、より糟湯酒の温かさを表し、そんな侘びしい生活の中でのただ一つの希望のようにさえ感じられてきます。

 

 下級役人が、酒粕を手にするこの万葉の唄は、この時代の国の階級制度や、計画的に酒が造られたことを教えてくれます。澄んだきれいな酒と粕とに分けられ、貴重な澄み酒は、公家や上流階級が飲み、残った粕は下のものに払い下げられ、また給与としても渡されたのでしょう。

 お米が貴重だったであろう、この時代から人々はすでにお酒に魅了され、それを楽しんできました。そして副産物である酒粕もまた、「固形のお酒」「食べるお酒」として、大切にされたことでしょう。

 

 

■文字に残る酒粕の文化

 

 日本の文化・歴史のいわゆる表舞台の花形である「お酒」に比べ、「酒粕」の文化・歴史はあまりにも語られていませんが、「安価なお酒」としてまた「甘味・旨味調味料」として人々の生活の中で酒粕が使われていた跡が、読み物の中に僅かに残っています。ここでは、昔の庶民の生活に、楽しみや、温かさ、食の豊かさの一助として使われた酒粕の歴史を見てみようと思います。

 

日本での酒粕利用の歴史は古く、おそらくは稲作文化と同時、またはお酒を造るようになると同時に発生したものと思われます。お米を作れば、その自己消化機能である麹菌も、もれなくついてきて「お米を作る」から「お酒が出来る」までの一連の流れは、自然の用意した必然のような気もします。こうして出来たお酒は、最初はどぶろく状の米と液体の渾然一体となったものを飲んでいたのでしょうが、それでもしばらく置いておけば、上の上澄みと、下に溜まる米粒の濃い部分とに分かれてしまいます。後の世に、蚕や麻から布を作れるようになって、それで作る袋を使って液体と固体とに分けるようになる前から、上澄みの方が、飲みやすく、スッキリしておいしい。と古代の人も感じていたのでしょう。はっきりと清酒と酒粕とに分けられるようになるのは、こうした布などの生活技術の発達や、搾るための槽(船)の木工技術の発達も同時に必要とされます。また集団としても、村や国ができ、組織的に稲作やお酒造りをするようになってからでしょう。それらが文字として歴史に出てくるのは奈良時代~平安時代ごろから。

 901~923年に編纂された「延喜式」には、いくつかのそれらの記述があります。

 

・       甘口の濃厚酒を、ザルで漉したり、絹の袋で漉した。

・       上澄みは上流階級や天皇の宮中での儀式に使った。

 

とあると、当然、粕ができる訳で、粕は下級役人などに廻ったのでしょう。実際、当時の税帳には、

 

・疾病人に濁酒の粕を人別五合給与した(但馬国正税帳)(737年)

・徴用人夫に酒糟を人別三合支給(和泉国監正税帳)(738年)

 

などが書き残されています。当時のお酒の仕込み配合を見ると、仕込み水は少なく、蒸し米と麹の多い、出来上がりが濃厚甘口のお酒であろうと想像できます。またその酒粕もさらに濃厚甘口のしっとりした練り粕のような酒粕のはずですので、現在のパサパサした食感の、タンパクな味わいの酒粕とは全く違うものであったでしょう。同じく平安時代の「内膳司」(天皇や貴族の料理番)での記述では、その甘み旨みの濃い濃厚酒やその粕を料理に使ったともあります。

 

 時代と共に人々の好みも移り変わり、お酒は段々と濃厚甘口からサラッとした飲みやすいものへと変わっていきます。時は下って、かの織田信長も好んだとも言われる「醍醐寺」のどぶろくも、私の蔵で再現して商品化していますが、甘さの中に乳酸の酸味や、苦味、辛味を含んだ、爽やかさや軽さすら感じる味になっています。

 

 

■酒造りの大型化と酒粕の普及

 

 そして現在のような圧搾された白板粕が、世間に出回るようになるのは江戸時代です。

この時代は、現代の酒造りの基本ともなった「生酛造り」が完成してきた時代でもあります。時代も安定し、庄屋や、大きな商家が現れ、それらが中心になり全国各地に生業としてお酒を作る酒屋が登場します。今に通じる、蔵人や杜氏制度が現れたのもこの頃です。

 

 もともと、山間部の農家だった杜氏集団は夏、自らの田畑を耕し、冬になると部落の男衆を蔵人として引き連れ、各地方の中心的な役割をする蔵元のところへと出向きます。一冬泊り込み、組織だって酒の最適期である寒の時期に大量の酒を仕込みます。この時、寒くて辛い酒造りの労働を紛らわすために唄った蔵人の郷土の唄が、その地方の酒造り唄として生まれ、今も歌い継がれています。そして春になると一冬の労働賃金と、自ら作った酒や酒粕の一部を蔵元から譲り受け、各自の郷土へと帰って行きます。

 

 このようにして作られたお酒と酒粕も、庶民の生活の中に、楽しみとして広がり、同時にこの本で紹介しているような、各地のさまざまな郷土酒粕料理が生まれる下地にもなったことでしょう。料理として粕汁や煮物に、また保存利用として漬物や魚の粕漬けなどに使われます。奈良では熟成粕に野菜を漬け込んだ奈良漬。また北関東周辺では地元で取れる鮭と共に「しもつかれ」など地方色豊かな、郷土の食文化が生まれます。酒屋が作った酒粕から、酒母を造り、自らのどぶろく造りに応用もした。という話しも全国各地に残ります。

 

 この本をきっかけに、先人たちの残した豊かな酒粕文化を、また皆さんの生活や食卓の彩りとして楽しんで頂ければ嬉しい限りです。

 

 

 

 

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